第2回体育授業研究会Webinarが開催されました。

第2回 体育授業研究会Webinar 報告

   体育授業研究会 研究委員長  鈴木  聡

■はじめに

 10月31日(土)第2回体育授業研究会Webinarを開催しました。今回も80名の参加者があり、研究テーマ「私が考える体育の認識学習」を追究しました。会に先立ち、岩田会長からご挨拶いただきました。岩田会長からは、体育科教育界における認識学習に関する議論の契機とそれが深まってこなかった経緯について情報提供いただき、このテーマを追究する意義を再確認することができました。私たちが取り組んでいる「認識の中身はいったい何なのか」ということを明らかにしていくことは、本会のみならず今後の体育科の教科内容を考えていく上でも重要な視点であり、今回のWebinarがその蓄積となるはずです。岩田会長は、認識学習に視点を当てることは、技能学習を軽視しているという捉えではなく、「賢く運動技能の学習をする」「もっと意味ある技能学習をする」と考えていくべきだと締めくくりました。このことは、今後研究を進めていく上で前提として捉えておくべきことだと思います。

■Webinar内容から

1.認識学習の概念整理 (体育授業研究会研究委員長 鈴木聡)

 初めに鈴木から、認識学習の体育科における歴史的変遷及び概念の整理を行いました。要点としては、体育における認識的側面とは、運動学習における「わかること」を指すことで、「わかってできる」「できるためにわかる」ことが大事だと捉えています。なぜ「わかる」ことが必要なのかという問いに関しては以下のように考えられます。まずは、「効果的で合理的な運動学習を行うため」です。技を行うときの仕組みや構造を理解することは、よりよく身体を動かす際には重要な情報になります。また、「学ぶ見通しを持つため」です。これは、認知スキルと関連しますが、「こうすればできるようになる」という道筋を理解することで、意味を伴った学習をしていくことができます。「主体的に学ぶため」にも認識学習は大切です。見通しを持ちながら学び、自分の身体が変容したり、できるようになったりしていくことで、前向きに取り組む態度や自信、運動を持続していくことにもつながります。さらに、「学習集団をつなぐ」ことにも機能します。運動技術や戦術を理解し合うことで、それらを媒介にしたコミュニケーションが実現するはずです。
 また、鈴木からは体育科における認識学習の定義が一般的に定まっているとは言えないことや、研究者による認識学習の解釈に関するレビュー(城丸、中村、岩田、井谷ら)を紹介しました。特に、岩田会長が整理している「課題認識」(対象となる運動の技術的な課題性がわかること)、「実態認識」(現時点での自己の運動がどのようになっているかがわかること)、「方法認識」(対象となる運動の課題性を達成するための手段方法がわかること)については、今後の議論の視点にしていくことを確認しました。さらに、第1回Webinarで報告された三本実践、久我実践の共通項は「身体知」であったことと絡め、「身体的な認識」を今後の議論の視点にしていきたい旨を報告しました。

2.実践提案

「私が考える認識学習~陸上運動の実践~」福井県若狭町立みそみ小学校 小畑 治

  続いて、小畑先生より実践提案をしていただきました。まずは、小畑先生が捉える「なぜ認識学習が必要か」について、運動有能感の視点から説明いただきました。小畑先生は、自分の体を意図的に動かせるようになるためには認識学習が大事だと考えています。その際に、行動を起こすときの動機や理由である「因果律」に着目し、子どもたちが自ら課題に向かうことを重視します。動きの必要性が理解できたり、なるほどと思えたりすることで少しずつ内発的になっていく学習を目指しています。自己決定と有能さを認知することで、内発的な動機付けが高まり、できるようになった原因を自分の頑張りなどに帰属できるようになるとさらにそれが高まるということはその通りであると思います。また、小畑先生は科学、文化、原理原則など共通する知識のような外的なものと、実際にやってみた自分の感覚を往還させることが大事だと述べます。子どもが情報を理解し、自らやってみようという気持ちになり、仲間と交流することで「やりながらわかる」「わかりながらできる」ということが実現すると考えています。
 その中で、小畑先生が抱える課題も紹介してくださいました。「先生できました!」「どんなふうに頑張ったの?」「あれこれ考えると難しいので何も考えずにやったらできました!」という子もいます。また、「わかってもできない子」へのアプローチをどうしていくかということです。これは、実践者の多くが異口同音に感じることではないでしょうか。また、認識学習の効果をどう証明するか、「わかる」「できる」をいかに評価するのかという点も挙げられました。
 後半は、高学年の走り幅跳び、走り高跳びの実践が紹介されました。子どもたちの感覚を引き出すために「なぜそうしたの?」「なぜそう思ったの?」と子どもたちに聞いてみいたことや、学習カードの工夫が紹介されました。今までは、発見した技術ポイントを書き込んでいく吹き出し式のものを使っていたそうですが、それができるようになるためには、どんなことを意識したらいいか、どんなイメージ、感覚を持てばいいかということを書かせるようにしたといいます。走り幅跳びの実践では、「膝を柔らかく曲げて両足で着地する」という学習課題を見つけ、その後意識してやってみて、グループでどうだったか話し合う場面が紹介されました。高跳びの実践では、「振り上げ足を伸ばして上げるには」というテーマを追究しましたが、「右足と左足をL字(振り上げ足と抜き足の形状)にする」という子や、「天井を蹴るように」「サッカーのシュートのように」という意見交換の様子や、練習しても振り上げ足が伸びないと記述していた児童がその後伸びるようになっていった際に、どんなことを意識したか聞いたところ「わからない」という返答だったというエピソードも紹介されました。
 本実践の成果について、小畑先生からは子どもたちが何を努力するのかを具体化できた点(因果律の所在、統制感)、自分の感覚を表現したり、自分にない感覚を受け入れる経験ができたりした点(思考・判断・表現、受容感)、前の自分と比べて上達を感じ、その理由を努力に帰属することができた点(知識・技能、原因帰属、身体的有能さの認知)が挙げられました。課題としては、子どもたちが意識しようとしていることが適切だったか、意識させる技能をどのように絞るか、児童のどのような表現をピックアップするかという点が挙げられました。この後、全体ディスカッションに進みました。

3.参加者との意見交換より

 報告の後、全体ディスカッションとブレイクアウトセッションが行われました。今回の実践で今までと大きく変わった点はどこにあったのかという質問に、小畑先生は技術を発見したり提示したりするだけでなく、「どうしてそうしたのか」や「なぜできるようになったと思うのか」ということをより強調して子どもに聞いていったと主張しました。また、わかっているかどうかの見取りが難しいこと、何ができて何ができないのかをまずは知ることが第一であること、「本当にできているのか」「本当にわかっていないのか」というところを教師がしっかり見ることが重要であるという考えも出されました。そこに主観が入り子ども一人一人違うところが難しいという葛藤も語られました。これは、体育の認識学習を考えていく上で大きなポイントであると思います。

「わかってもできない」を言い換えると、論理的科学的な側面からはわかっているが、感覚的にわかっていないということではないか。人間の体は外から観察できるが、自分の体自身を外からコントロールすることはできない。内側からコントロールする際に、論理的科学的に体の動かし方がわかっても、「こんな感じになるんじゃないかな」というキネステーゼ(運動感覚)がわからないと動き出せない。しかし、それは極めて個性的であり、どれだけ言語化できる能力があるかということも関連するので難しい。科学知と論理知とそれぞれの感覚を探り合うことになる。難しいが極めて人間的な行為でもあり、体育の認識方法としては重要である。

また、「わかってもできない」は、認識学習の一つの成果であり、「わからないけどできる」は、言葉や文章で説明できないだけであって、深いところではわかっているのではないかという視点も出されました。さらに、わかることは身体的な認識であるため「わかったらできるようになっているのではないか」という解釈や、オノマトペは有効であるが、指導者として子どもが何を感じてそう表現しているのかを考えていく必要があるという教師の「運動技術認識」に関わる意見も出されました。こうした意見に関して岩田会長から補足がありました。重要な点だと思いますので、記します。

■ふりかえり&ネクストプラン

今回も研究テーマに一歩迫れたと思いますし、考えていかねばならないことも明確になってきました。小畑先生は、議論をふりかえって、子どもたちと「わかる、できる」を大事にして授業を創ってきたつもりであったが、子どもたちの内面により迫っていく必要性をより感じたといいます。また、今後も子どもたちが「どんな感覚でやっているのか」、それをどんな表現にするのか」を大切にし、同時に「これは技術に関することだな」「これは感覚に関することだな」と子どもの言葉や感覚を整理していく視点をもっていかねばならないと述べられました。
 議論になった「実態認識」と「身体的認識」について言えば、「実態認識」は理想とする動きと自分自身を見比べて現実を把握するという、客観的でメタ的な認識なのかもしれません。一方「身体的認識」は、自分が運動するときの一人称的な感覚なのだと思います。「自分の身体や感覚」と「普遍的な技術」を往還させ、自分の中で対話し、仲間とともに対話しながら「わかってできる」ことに向かって学んでいく姿が、認識学習のひとつの形なのではないでしょうか。それが実現するためには、教師の運動技術認識が重要であり、そのことが今回の議論で再確認できたと思います。
 事後、たくさんのアンケートを頂きました。ここでも、論理的で理性的な認識と、感覚としての認識の往還が重要であることや、そうした形式知をいかに暗黙知に移行させたり、いかにして暗黙知を形式知へと導いたりするのかが大事だというご意見をいただきました。発達段階や領域別の整理が必要であるとの声もいただいています。今後、追究の視点にしていきながら、体育科の認識学習について実践事例を基に少しずつ明らかにしていければと思います。実践報告をしてくださった小畑治先生、司会の清水由先生、会場を提供してくださった佐藤洋平先生、ブレイクアウトセッションでファシリテイト役をしてくださった方々、そしてフライヤー作成、案内周知、申し込み等のマネジメントの全てをリードしてくださった松井直樹先生、そして参加いただいた皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。
 12月26日(土)には、「第24回体育授業研究会東京冬大会Winter Webinar」を開催する予定です。お仲間を誘ってぜひご参加ください。この冬も学び続けましょう。